異能バトルは日常系のなかで 6話まで

 文体を崩しつつ順番に感想を書きます。
 僕にソリッドな文体とか無理なんじゃねえのか疑惑が色濃くなってきた。
 
 4話。
 コスプレのところの話。通俗的邪気眼概念が流通する空間がどういった利点を持つかというと、ひとつにはギャップ萌えを任意の瞬間に(仕込みなしで)利用できることが挙げられます。邪気眼のような仮構されたペルソナを前提とするコミュニケーションが唐突な邪気眼の解除によってつんのめる瞬間、つまり素の自分が覗いてしまう瞬間、それはエモい/萌えるということです。利用する上ではたんにヒロインが主人公の邪気眼によるブロックを期待して投げたスレスレの球が素の主人公によってホムーランされればいいだけなので、これは非常に使い勝手のよい構図です。代わりに主人公側にどんどん施すべき処理が堆積していくのが難点かもしれない。ただ、主人公の主人公性を問題にする方向で畳むならそれはむしろ布石として機能するし、個人的にはそういう方向性を望みたい。
 描写として特筆すべきは7:36あたりでの鳩子氏の表情かな。自意識あったんだなこの人という感じ。明らかに虚を突かれた感じで、しかしそれでいて直後に「あれー!? 本当だあー!」とか言ってみせるのだから堪らない。ここで(冗談という体ででも)嫉妬してみせたり、或いは茫然自失としたまま立ち直れなかったり、というキャラなのであれば救われたのだけれど、悲しいかな、彼女の精神は人並みに揺れるし人並みにスタビライズされてしまう程度には普通なのでした、といった辺りで容易にカタストロフが予見される訳ですね。鳩子氏回での発狂早見沙織が期待されます。
 あとアレ、"「喧嘩するほど仲がいい、だよ」"ってのを一切の悪性を行使できなさそうな鳩子氏に言わせるのはマジで邪悪な深読みが無限に出来そうで大変よろしい。主人公の邪気眼は素の自分に迫られた時のための防衛ラインとしても機能するので、邪気眼に気付けない―――邪気眼の向こうにアクセスできない鳩子氏は常に彼のディープに触れることができなくて、みたいな妄想は無限に成立するしそれなりに妥当そうな気がします。
 物語。起こったこととしてはまあ俺妹のあやせ回ですかね……(そういえば鳩子氏は地味子氏と印象が被る)。"「千冬が高校生と遊ぶのは変なんだって」"という台詞に、ああ、邪気眼の実際的な問題つまりアウトソーシングされた害意を身内が行使してくるタイプの地獄について取り上げるのか、と期待していたのだけれど、結局は害意の向かう方向性を有耶無耶にする方向にずらしてるので、そういう意味では善くなかった点もそのまんま俺妹のあやせ回だったかなーと。ハンター試験会場へと向かう最中のクイズじゃないけど、本当にそれが問われたらどうするの、っていうアレですね。とはいえ幼い子供なのだし、先延ばしは処理としてそんなにグロい訳ではない、ということには留意しないといけない。邪気眼は本質的には狭量さが問題となる(そういう意味ではダブル佐藤の問答はやはり精確だったのだ―――全編あの精確さでやってくれればなあ)ので、充分に大人になるまで優しい嘘で騙すというのもまあ教育としては悪くない。フィクション女児は賢いんだしそんな気遣い要らなくね? とも思うけれど。
 特筆すべきワード。"「だって、安藤はずっと中二だから」"。それは彼と彼女がいつか出会えるという希望であると共に、避け得ない別れをも確約する事実だ。ここに主人公の正しさは保証され、ヒロインと彼の非対称性、位階の差は明白に示されたという訳だ。……みたいな話になると僕が割と喜ぶ、かな。
 
 5話。
 冒頭からギターを持ち込む主人公。赤いギターというのは大変にベタな「かっこいい楽器」で、まあ手垢に塗れているんだけど、この手垢に塗れているって事実が重要なのかなーという気もしてきた。というのは、彼の邪気眼が視聴者―――僕やあなたにとって格好いいものには見えない、むしろ無惨なものにしか思えない、という事実こそが、彼のひたむきな執着を担保するからで。交換価値が薄いほど、それを欲望する人間の欲望の強さは大きめに見積もられる、ってことですね(紙幣を集める人間よりも木の葉を集める人間の方が「蒐集」に関しては上位に認識される、とゆーアレ)。仮にそうだとして、どういうロジックに繋げるのかは謎。主人公の過去話? でもなあ……。
 ともよ氏の振る舞いは大変に無惨だ。主人公がどこまでも自分の信じる邪気眼を裏切らないのと対照的に、ともよ氏はぱんぴーのロジックを完全に内面化してしまっている。自分の嗜好を把握した上でなお、それは人様の前で明かせない汚点であると認識している。こういった思考がまず悲しいものだが、本当に悲しいのは、彼女は一方で、主人公の邪気眼っぷりを扱き下ろすことで精神の安定を図れてしまう、ということだ。
 主人公はキリストですね、とか言うとまあそりゃそうだろという感じの構図ではある(供犠、ということ)。
 ここらへんについては、主人公は正しさの顕現なのかなあ、といった印象。正しさを保ったまま彼を引きずり下ろす=ラブコメの世界に召喚するために、彼の正しさを低減せずに傍目には正しくなく見えるような振る舞いとして「手垢のついた邪気眼」ってのが要請されたのかなー、と後からは見える。ただ作中の条件から類推するのが既に悪手っぽいというのと、アニメで独白が削除されることにより完璧さを増すラノベ主人公みたいな問題がたぶんあるので、そこらへんは本当は原作を読まねばならない。なお金が無いので原作は当分読めません。誰か貸してくれ。
 ともよ氏の時間停止ってちょっと変だよなー、というのは、本質の反映でもなければ、願望の反映でもなく、自分で選択したものでもないからですね。すごくベタに考えれば鳩子氏が時間停止であるはず(幼馴染キャラなので)。こういう部分についてはわざと外してるのかなーという感触のないではなく。
 
 6話。
 冒頭の作中作がすげー直截なメタファーくさくて逆にミスリードなんちゃうんという護身発動。邪気眼の楽園と足抜けの問題として読めますね。邪気眼は常にぱんぴーとの戦争として語られる(AURAの結論の邪悪さ、というのはまずもってそこにあるわけです)。作中作での主人公の扱いがいい、というのがまあ示唆的ではある。
 物語。問題なんてーなにもないよー!(要約)、という感じ。ヒロインはもう問題とか内面化して解決してて、でもそれは嘗ての主人公の言葉あってのもので、彼は自分の優しさが実を結んだ結果だけを観測する。
 立派な人間になりなさい、というフレーズからウッヒョイ邪気眼といえば人間の価値の恣意性の問題!! とテンションを上げていたのだけれど、特にそういう話ではなかった。うむ。
 "「私は能率や結果を重視するあまり、仲間を見ていませんでした。誰かさんとは大違いです」"。モラトリアムとしての異能に彩られた日常。ともよ氏ワナビムーヴへの励ましが今この瞬間の楽しさを問うものでありラノベ作家になれるかどうかという結果を問うものでなかったこと、千冬への手助けが問題を先送りにするだけのものであったこと、がここで総括される。わざとやってるのであれば、依然として期待はできるのでは。