異能バトルは日常系のなかで 7話

 えー、そっち行っちゃうのー、という感のないではなく。
 次回で雰囲気が日常系から逸れてたらだいぶあかんなーという感じ(自分でも三日後にはどういう意味だかわかんなくなってそうな記述)。
 
 鳩子氏の哀しさは主人公の中二病を理解できないってことで、そういう意味ではもちろんともよ氏(元中二病ゆえ主人公と話が合う)が彼女のコンプレックスを刺激し/主人公との時間を奪う敵として機能する訳なんだけど、その「理解できない」ってのの度合いが重要で、無論として紗弓さんや千冬ちゃんは自らは中二病ではないまでも主人公の中二病が格好悪い/世間的に馬鹿にされるものだということは理解できているのだけれど、一方で、鳩子氏の理解できなさってのは紗弓さんや千冬ちゃんのそれ(おおよそ理解とは呼べない程度の、ぱんぴーの目線に近いそれ)に比してもなお根深い。そもそも中二病という概念をおそらく理解できていない、ということだ。
 だからこそ、鳩子氏が主人公を糾弾する時、そこでは「中二病なんて恥ずかしい」ではなく、「中二病の何が格好いいのかわかんない」という論理を行使している。鳩子氏にとって、中二病とは主人公が薦めてきて/自分が理解できなかった趣味ないし感性一般をラベリングする言葉であって、そこには外部の視線を導入する必要など微塵もない。重要なのは少年の好きなものを理解しようと努めてきた少女が彼との遠さに爆発したという一点であり、ここで考えるべきは恋と相互主義、本当の自分概念、そういったものだろう。
 ぶっちゃけメタなラノベ批判とか言い出すのは(アニメの描写だけ信じる上では)トンカチ持った人間にはぜんぶ釘に見える案件でしかないよなーとは。有り体に言ってアホだと思います。上述した通り、鳩子氏の吐露はその私的さこそが尊く/意味をもつものであって、それをメタ/つまり上部構造への接続と安易に見做すのは彼女の馬鹿らしいまでの真摯さを蔑ろにするよくない観方だと思う。割とマジで呆れてるぞ僕は。
 
 後半、眼帯氏による説得のロジックに何か問題がある気がする、のだけどまだあんまり整理してないです。適当に列挙しておくと、
 ・鳩子氏は主人公の中二病トークを楽しみたいが、楽しめない(ex:"「神話に出てくる武器の説明されても楽しくないよ」"」
 ・鳩子氏は主人公が他の人、特にともよ氏とは楽しく中二病トークしてるのがつらい(鳩子氏目線での寝取られ)
 ・鳩子氏は主人公の中二病トーク、ひいては彼自身を理解したい(中二病という外殻を剥がす手段がない)
 といった感じで鬱屈したものはたくさんある筈なんだけど、そこら辺をぜんぶ「彼の全てを理解しなくてもいい、中二病は理解されないことも醍醐味なんだ」って論理で切れてしまうのはまずくないだろうか。
 鳩子氏の側の気の持ちようでそういう風に関係性をずらしたところで、他の人には理解できている主人公の言動が彼女には理解できないという事実は変わらない。というのと、鳩子氏のわからなさってぶっちゃけおばあちゃんのそれであって、中二病の快楽に結びついてるようには到底見えないんですよね、というのとがあって。そこら辺よくわからんうちに一旦解決みたいなムードに見えたのは割と脳がウーンとなる感じではあったか。
 とはいえシリアスで引っ張るようだしまだ鳩子氏回のターンは終わってないっぽいからなあ。期待はまだしておきたい。
 
 あと何だろう、鳩子氏が憧れたのは主人公の中二病的な振る舞いでもあったはずだ、という論理は採用しないのかな。もしかすると8話でそこを落とし所にするのかも知らんが。
 ありのままの彼を好きになる、とか現状から今更やられるのは結構萎えるのであまり予想してない方向での解決が見たい、かな。そういう尊さを実装するなら物語開始と同時に初期状態で実現しておくべきだと思うし。なんせ幼馴染なんだし。
 
 適当にエモいポイントの指摘。
 鳩子氏の流暢な中二病disは主人公に勧められたもの/その売り文句として主人公が発した台詞を次々と批判する形をとったわけだけれど、それはつまり鳩子氏が主人公の勧めてくれた中二病的作品/概念をあまさず理解しようと必死で憶えたことを示唆している。そうでなければああも流れるようには吐き出せない。
 また上で書いた通り、彼女の指摘には中二病の恥ずかしさという一般的な観念がかなりの部分抜け落ちているように見える。二者間の閉じたプロトコルとしての中二病、が成立していた可能性を示唆するものであって、つまり主人公と鳩子氏はうまくいかなかった中二恋の主人公とヒロインだといえる。ごめん与太。