Rewriteあれこれ

 ふと思い出したので書いておく。好きなシーンがあったことを思い出した、というだけの話なんだけど。
 小鳥ルート分岐前、病欠した吉野の家へ見舞いに行って、自宅における彼の姿を二人して目撃してしまうイベント。学校や街での振る舞いとは明らかに違う、子供としての彼を見てしまった後のやりとり。

【吉野】
「ママン、ナシむいてくれよ!」
(中略)
【瑚太郎】
「このことは、俺たちの胸にとどめておいた方がいいな」
【小鳥】
「それがいいね…あれはたぶん、吉野くんの聖域だよ」

 ……聖域という単語にガタッとなるのはまあ仕様として。この出来事を本人に突き付けたり身内でネタにしたりせず、それでいて彼が硬派に振る舞うその裏にママンとか言っちゃう人格を透かし見て嘲りもしないという事実が殊の外胸を打つように思う。対外的に振る舞う姿の裏に「本当の人格」を見出すのではなく、対外的な振る舞いの結果こそを人格として解し、接する姿勢。少なくとも、そのように接しようという意志。うまいこと言語化できないんだけど、距離の問題なのだと思う。一気に胡乱。
 渇いた自己を誰にも晒さずにきた小鳥さんと、虚無に始まる不器用な自己規定しか持ち得ない瑚太郎くんとにとって、憧れから生まれた理想を体現する彼の姿はどう映っていたのか。などと考えるに、やっぱりちはやルートでもっと在り方の問題について掘り下げてくれたら僕が喜んだのになあ、という気はする。