黄昏のシンセミア、再プレイ(共通部分)

 二年前よりは多少頭よくなってるといいな、と思いつつシンセミア再プレイ。
 
 孝介くんを筆頭として、キャラクタが会話の流れに意識的だなー、という印象を発見する。
 無制御にボケとツッコミが連鎖するのではなく、各々が面白いと考える会話の流れを想定し、それに沿って発言しているような感じ。そういう意味では『ゆゆ式』とか『つよきす』とか想起させられるかもしれない。より完成度の高い流れを実現するため、場を皆で操作する。面白くなりそうな流れなら乗るし、つまらなくなりそうなら方向転換させるか、途中で切る。娯楽としての会話、とか言えるかな。
 個人的に無意識のもとに編まれる会話の方をよく見てきたので、これは結構特異な要素に見えるのだけれど、たぶん観測範囲の問題でしかないはず。ただ、シンセミアの場合は上述したような会話の流れへの意識を持たないという正にその事実によって、ロリを表現できているところに特色があるんじゃないかなあ、と思う(凄い字面だ)。……つまり、大人たちが意識的に楽しむスレスレの会話を純真な疑問で縫い止めてしまうことで翔子ちゃんの無垢さが、孝介くんの用意した会話の陥穽にまんまと引っ掛かることで沙智子ちゃんの純粋さが強調される、といった具合に。うわあ胡乱。
 そう考えると、シンセミアで本当にギャグとして置かれてるらしいシーン(専用BGMがあってポンチ絵のSDカットインが入って……)が混乱した場として表現されがちである、ということにも繋がりそうではある。制御を失って暴れる流れ。
 
 ところで『つよきす』において「タカヒロしかいない(キャラがみんな同じ)」とのdisが散見される理由はここら辺に起因してるんじゃないかなーと思うのだけど、他にタカヒロ作品やってないので何とも言えません。