Angel Beats!(続き)

 俯瞰して観た印象じゃなくて、自分の感慨を中心に、散漫に記述していく。
 まだ他人の考察とか漁ってないので、細部はだいぶ間違っているものと思われる。要検証!
 
 あの世界は永遠の箱庭だから、幾度ものリセットを挟みつつ、あらゆる可能性が演じられてきた。また、この先も同様に演じられていく。繰り返しの中にはSSSのようにシステムに立ち向かった者たちもいただろうし、ひとつの物語の終焉として描かれた―――演出の上では世界の変革を象徴するかのごとく描かれた恋愛を排除するシステムの破壊さえ、あの続きではどうなるか判らない。過去にも未来にも全ての可能性を内包する世界において、ひとつの区切りとして機能するのは、だからSSS全員の成仏しかない。システムの破壊者にゆりが据えられたことは、卒業式の面子に日向がいたことは、全くもって正しかったように思う。
 
 演奏シーンの演出。実際の演奏動画をアレして作っているそうで、実際すごく滑らかに動くんだけど、なんか気持ち悪いという……(小学生並の感想)。とりあえず重要だなーと思ったのはギター構えた女の子が腰を落として楽器を腰骨に付けガニ股で後傾しつつ演奏してることで、確かに3kgから5kgの楽器を肩からぶら下げて弾くにはそういう姿勢が要求されたりするんだけど、少なくとも「デフォルメの効いた、ギターを構えた女の子」の動きとしてはすごい違和感があって。そういう場所で嘘をつけるのがアニメの強みじゃない、という話でもあり。……あー、長門が微動だにせず速弾きをこなしていた絵はすげー正しかったんだなーと遅れた理解が。
 
 途中で株が下がったという音無君。個人的にはあんまり気にならなかった点。たとえば最終話に関しては、日向とどっちが先に消えるか軽口を叩いてたあたり計画性はないように見えるし、画面からあのシーンの彼が間違ったことを言っているように描かれていることは明白なので、少なくとも腹黒い打算の結果ではなく、気の迷いだった、と見做すのが自然なように思う。それを踏まえた上で人間がぶれてしまったという批判については、うーん、どうなんだろう……。もっと切なく綺麗に描けたのでは、というのは(製作者たちに対して)投げても許される範囲の疑問ではあると思うのだけれど、、とりあえず、奏の独白を促すために不自然な展開が必要とされた、というのが自分の中ではそれなりに信憑性の高そうな線。でも制作論で説明するのってソースないと本当にあたまわるいのでアレ。
 次は誰を消そうか的な発言に関しては、序盤のゆりっぺの台詞を引いてくるのがいいのかな。むごたらしい記憶を抱えてこんな世界に云々、という奴。視聴者から見てSSSメンバーがどんなに楽しそうに見えたところで、音無の認識においては辛い記憶に炙られつつ見込みのない神への反抗を続けているように見えてしまう、はず。たとえば、記憶を取り戻した後の彼が自分は皆とは違って幸福な最期を遂げられた、皆にもそういう気持ちをあげたい、って語るシーンは当初(僕には)不自然に見えたんだけど、あれはそのくらい、ゆりっぺの語る生前の記憶を意識していた証のはずで。或いは幸せに終わることをただ一人知る自分、という自負があったのかも知らん(そう考えた時、奏と一緒に管理者になろうとした、というのは割と綺麗な流れに見えなくもない)。幸せに終わることの価値を知り、また皆の抱えているであろう凄惨な過去を思えばこそ、成仏してもらうことを目的に据えた、と考えるとだいぶすっきり纏まる。
 ちなみに、おまけエピソードで音無だけテンションが終始低い、というのは割と笑えない要素で。あれが認識の差を表す演出だとすると、どんだけ容赦ないんだよ、という感じである。
 
 なんかまだ書くことあったはずなんだけど、ねむみが激しいので、一旦おく。
 
*追記。
 永遠を内包した世界だということは、後から来る者たちが奏やSSSのように青春の謳歌を放棄して争ってしまう可能性を意味する訳で、奏の不器用さに涙した音無のこと、残って彼らを導かねばならないと思った、というのは不自然ではない読みだと思う。もう書いたかも知らんけれど(ねむい)。