リトルバスターズ! Refrain 6話

 4、5話試聴終了後に考えてた予測は大体外れてたので無かったことにしました(L5発症顔で)。
 3話直後に書いたこともだいたい的外れという。既定路線や! ガハハ!
 
 6話感想。大筋は原作準拠でありながら、シーンの見せ方に相当な部分、アニメスタッフの工夫を突っ込んであるなー、という印象。
 
 ……大方のノベルゲームの画面において、立ち絵はある程度の変化を排除してキャラクターを見せる装置として機能する(背景もそうだろうが、ここでは措く)。どこを描写するしないの閾値とするかは作品によってまちまちで、服に返り血が付いていたりだとか、物を持っていたりだとか、目線が違っていたりだとか、演出意図に応じて様々に立ち絵のバリエーションが存在しつつも、明確な差異として設定された以外の要素は容赦なく切り捨てられるのが常だ。ポージングが違ったとしても手の表情までは変わらないとか、泥を跳ねられたシーンでも服が綺麗なままだとかいったように、バリエーション毎の差異よりも微細な変化は、立ち絵の要素として描かれることなく切り落とされる。例外は当然あるが(リソースの削減を志向した手法なのだから、敢えてそこにリソースを注ぎ込もうという趣味は当然生まれる)、リトルバスターズの原作は少なくとも上述の例に漏れない。
 以上のような理由に加え、視点人物である直枝理樹が不安や怒りで注意力が落ちてもいるのが鈴ルートであって、このルートでは恭介や真人、謙吾の微細な変化は描かれない。彼らの細かな所作を描写しないのが立ち絵であり、無限に細かい描写の権利を得ているテキストでさえも、一人称である限りは視点人物の気付かなかった要素を描写し得ないからだ。
 そこを敢えて細かく拾い直して描いているのがアニメ版なのだな、という感触がある。
 特に印象的だったのが、泣き顔のメールを受信し、自室を飛び出した理樹を恭介が引き止めるシーン。疲れを隠そうともしない不審な挙動に、低調な声、一定せず揺れる瞳。そして、理樹の弾劾を受けて拳を震わせる描写。原作ではRefrain突入まで完璧な敵として描かれていた恭介が、アニメ版においては既にここで弱さの片鱗を見せていた。
 また逆に、鈴を送別するシーンでは恭介の顔が描かれていないことで、完璧さに罅が入っている。強さを出したいなら微笑んだ表情で描けばいいし、確定させたくないなら原作通り理樹視点で背中側からのみ描けばよかったところを、敢えて正面から/表情だけ隠して描くカットには、強い意図を感じてしまう。
 
 その他、明示的な描写の増量は枚挙に暇がない(謙吾の左腕なんかは強調し過ぎていて驚いた―――アニメ初見組の為だろうか)。
 謙吾の茶番だぁーっ→殴打→絶叫の流れも、原作の凛々しい怒りに比べると、より剥き出しで子供っぽい激情に変更されていたように思う。これは大部分、声優の演技に拠るものだろうけれど。
 
 鈴の話。おそらく無印からRefrain6話までで最も重要な変化を遂げた彼女。併設校まわりの話は概ね同じ筋ながら、やっぱり受ける印象としては細かく違う。
 5話までの視聴から、ああまで強くなった鈴がHANABI展開(HANABI流れましたね(やはり沙耶ルートでは走るをですね))に至る所が想像できないと思っていたのだが、アニメの演出だとむしろ社会性が増したからこそつらくなってしまったように見えて、非常に巧い。原作では鈴の力不足で空回って失敗したように解釈されるところが、アニメ版の描写だと併設校の人間があまりにもダウナー過ぎて駄目だった、という風にも読める。リトルバスターズの皆としか社交的に振る舞えなかった、ではなくて、リトルバスターズの皆と共に過ごす時間があったからこそ、応答の得られない孤独に打ちのめされている、といったように。
 「だれもはなしかけてこない(∵)」「いつもひとりだ(∵)」という二つのメールはアニメ化に際して追加されたもののようだ。この追加も相俟って、原作とは違い、友好的に接する方法がわからないのではなく、友好的に接しても反応がなかったのでは、という想像がいよいよ強まる。
 また、原作では一時的に帰宅してからリトルバスターズの皆に会いたくなかった理由が皆をもう信用していない(メールの着信拒否の件で)からだったのが、アニメ版だと凹んでいる自分を小毬ちゃんに見せたくないから、というものに差し替えられている。柵を越えて脱走する時、原作では猫がついてこなくなるまで乗り気だった筈の鈴は、小毬ちゃんに伝言していくべきだと言い出す。原作通り、途中で小毬ちゃんの携帯に繋がらなくなったにも関わらず、だ。
 そう、棗鈴はまだ、リトルバスターズの皆とは切り離されていない。
 むしろ、描写の水準に於いては、直枝理樹の方がより危うく描かれている。このことが、どう機能していくのか。……HANABI原型展開、はさすがにないか。
 
 恭介の用意した試練が不適切なものだったのでは、という示唆を強める演出。そして、鈴が理樹に依存しきってはいない、皆を拒絶してもいないという事実。
 僕が見たかったリトバス―――そう、「ふたりが手をつないだ」リトバス。鈴が理樹を助けるような、「今度は僕があの夏へ連れ出すから」を鈴の側が実行するような、そんなリトバスの可能性も、まだ残っている。
 7話が楽しみすぎてつらい。