Rewrite、ちはやルート終了

 ちはやルート終了。ちはやルートというよりは、むしろ咲夜ルートといった感触。
 
 咲夜の名前いじりネタそのものは正直好みではなかったのだけど、名前をいじられる→反応する→更に畳み掛ける→反撃する、という一連の流れに段々と親しみが込められていく過程を非常に好ましく感じた。蟠りが解かれていく過程はいつだってカタルシスを伴う、とかなんとか。だから無垢でまっすぐなちはやは攻略対象としてうまいこと定位されなかったのだ、とか言い出すと流石に与太っぽすぎて死ぬか。それは言い過ぎだとしても、ちはやに「攻略される」余地ってあんまりないような気はして、もっと言ってしまえばまあ咲夜によって攻略済みだよねーというか。咲夜の後を継ぐ話、とか言っておくと綺麗に纏まるか。
 ところで咲夜のロールって父性的なアレですよね、その代替ということは、とか言い始めると邪悪なものが透けるとか透けないとか。もっと一般的な話として。
 
 問題意識がよくわかんなくなった。たぶん僕の頭が悪いせいなのだが。
 咲夜の吉野さん評、とりわけ庭いじりイベント冒頭での吉野さんと咲夜の会話から読み取れるそれが非常に高いものだった一方で、(少なくとも、言葉の上では/「天王寺瑚太朗」として社会的に振る舞う際の彼に対しては)咲夜の評価は辛辣極まりなかった。この評価の落差は吉野さん言うところの見下してる/見下してないの違いと同根で、つまり瑚太朗くんの在り方の歪みに言及したものであるとばかり思ってて、だから後半では「どのような者であるか(出自・環境)/どのような者として在るか(決意)」の対立あるいは遷移が描かれるのかなーとか思ってたのだけど、特にそういう話ではなかったので微妙に困惑。ちはやが己の境遇にどこまでも拘泥しない(「そういうものですから」と軽く流せてしまう)こと、つまりどこまでも与えられた境遇から出発するキャラクタであることと、精神的にも能力的にも現状を書き換えることに主眼を置く瑚太朗くんとの対比こそがシナリオの中心になるのだとばかり。
 勝手に問題意識見出して「そうならなかった」とか本当に馬鹿の言うことなのでアレなんですが。「え、ちゃんと描かれてたじゃない」というのもありうるし。他の人の感想見るのが怖いな。
 
 あとはまあ西九条先生の睨み顔すごい美人ダナーとか。対立組織の人間が情も何もない狂信的な機械に見える、というのは結構好き。