Rewrite、Moon編終了

 Moon編。未来を演算する少女との交感。
 
 共通のプロトコルを持たない交流は、偶発性に発展の可能性を委ねるほかない。お約束が成立しない対話は指数関数的に可能性の幅を広げ、その複雑性は共通言語を介して行われるそれとは比較にならない。働きかけの一つ一つが試行錯誤を伴い、得られた結果の解釈もまた霧中の様相だ。思考過程の見えないブラックボックスを相手に、手探りで入出力を繰り返す。手を差し伸べる様は、神への祈りにも似る。
 ……知性同士の交感とは本来、そのように為されるべきものではないか、と思わないでもない。相互に、という話で。
 
 認識の高まりが感覚的な寒さを伴うという描写。愛という概念を腑分けしそうになり、慌てて自重した際の独白に、最果てのイマに通ずる問題意識を見る。高次の知性というのはつまり、世界の冷たさ、人間の無機質さを直視せざるを得ない者である、と。そこで、だがそれでも―――欺瞞に過ぎないとしても、と続くのが田中ロミオという書き手の最も好ましい資質であると、僕は思う。ヒトとして生きるという決意。たとえ堕落で、退嬰であるとしても。
 ……これでロミオ担当じゃなかったら恥ずかしいってレベルじゃないなあ。
 
 設定明かしの役割を担う一篇でもあった。可能性の演算、そして返還。残された少女は空を想う。恥ずかしながら、殆ど理解できてなかった/今も理解できてないのだけれど。
 最も重要に思えたは、吉野との短い会話。散り際の彼に捧げられた感謝。拒絶してくれたこと。優しい承認で歩みを止まらせずにいてくれたこと。そのお陰で、書き換える者として歩むことができたのだと。何者でもなかったからこそ、何者かであってもいいという優しい呪縛を彼が阻害してくれていたからこそ、可能性に手を伸ばすリライターが生まれ得た。
 冊子を読んで更に強く思ったのだけど、これは三人と咲夜、そして篝の物語だな、と思った。間違いなく恣意的な括りではある。けれど、この恣意性を大事にしたい。