リトルバスターズ! 6話まで

 小毬さんを説得する流れの変化に大きく驚いた、ので記述しておく。観直せる状況にないので、精確に参照しながら書けないのが心苦しいけれど。
 
 原作個別ルートにおけるリトルバスターズの面々の不在感、つまり理樹君の孤軍奮闘感について。あれはあれで演出の一環として製作側の意図を(最終的には)伴う表現ではあったのだろうと思うのだけど、おそらく(ループ描写のための)ゲームのシステムに要請された結果でもあったはず。誰が抜けて誰が残っているのか、順番まで考慮して描写すると、最終的にそのパターンは膨大なものになる。誰が抜けていても最小限の差分だけで済ませることが可能な進行のために、個別での孤独は、閉塞感は、要請されていた―――と僕は捉えたい(そしてその制約は、少なくないシナリオで奏功する結果となっているように思う)。
 一方で、アニメ版においては攻略順が固定されている。つまり、仮にこれから先でヒロインの消失が繰り返し描かれたとしても、少なくとも初期に個別ルートの位置するヒロインについては、物語の終盤にリトルバスターズの面々を同席させることが可能である、ということが言える。原作で行われたようなテキスト差分による役割の代替に於いては時間的、動き的な強い制限を課されていたものの(同じ位置にテキストの差分でキャラクタを突っ込む場合、処理に幅を持たせることは殆ど不可能である)、アニメ版に於いては原理的にそれがない。ここにきて、リトルバスターズのメンバーたちは、誰かのピンチに際して彼らそれぞれの論理をもって手を差し伸べることが可能になった、と見做せる。
 理樹くんの説得と小毬さんの復活の過程にやや不満を覚えていた―――原作のそれが殊の外好みであったため―――のだけれど、上記のような転回がもし意図されたものだったのであれば、説得に際しての論理が変化するのは当然であるし、この変化はやがて世界を包み込むのだろう、と思う。……どうなるのかなあ。