ガールズ&パンツァー(全話)

 反復される描写を通じて実感される成長と、小さなコミュニティのなかでその緊密さを増すコミュニケーション網の発達。そして描きたい事柄の多さに比して足りない尺が要請した、極めて速いテンポ。
 高い水準で作られた、当然のように素敵な作品、という印象。なので、どれだけ面白かったか、を語ってもあまり面白い視点が出せそうにない。秋山殿の話はもうしてしまったことだし。緩やかな変化の伏線について語るには再視聴が必要だろうし。
 
 周辺の文脈の話とか記述しておく。
 美少女とミリタリー、という括りでストライクウィッチーズやうぽっての名前が共に上がる場面を何度か見たが、ガルパンはミリタリーに美少女を突っ込むのではなく、ミリタリー要素を美少女スポ魂ものを描くためのギミックとして導入した/導入するためにデフォルメした、というところにおそらく最大の巧さがあって、これを「美少女と組み合わせれば何でも売れる」などと腐すのは、流石に素朴すぎとの謗りを免れまい、と思う。
 たとえば『咲-Saki-』が麻雀という競技を「利害の絡む4者競技で、本質に根ざした異能を発揮する余地のあるゲーム」として最大限に利用しているのと同様に、ガルパンにおける戦車道もまた、大人数の少女を会話させつつ命の危険がないゲームに投入する……という極めて特殊な要請を満たす舞台装置として機能している。そう考えた時、「次は戦闘機美少女だ」「艦戦も行ける」などと言い始めるのは早計に過ぎて、たとえば美少女とミリタリーとを接木するためにどれだけ極端な仕掛けを必要としたかについてはストライクウィッチーズの頃に散々考察されたものと思うのだが、これがガルパンになるとビジュアルの普通さゆえにその仕掛けの精巧さが意識されなくなってしまい、そこに凝らされた工夫は見落とされてしまう。
 そういった話をしたいのなら、ガルパンの世界観が如何に奇妙であるか/その奇妙さをどう隠蔽しているかについて考え、同じ理路を目指すにせよ目指さないにせよ、個別のミリタリー要素と美少女とをうまく馴染ませる方法論を確立すべきだろう。そうまでして、やっとカジュアルに「またミリタリー美少女ものか」と罵倒されるような作品が出来上がる。
 
 キャラとしては秋山殿と生徒会長が好き。
 心に残ったシーンはというと、やっぱりダージリン戦のゼロ距離射撃。だからこそ、最終話でのあの反復には心底痺れた。尺に余裕がないからこその緊密な構成に、改めて感心するところ。