リトルバスターズ! Refrain 2話まで

 毎話感想書くとか言ってた人間がいるらしいですよ? ……有言不実行してばかりの人生でしたね。
 
 アニメ版のリトバスで特筆すべきは原作に於ける一対一の恋愛要素をアニメ化に際してさっくりと切り落としていたところで、これは勿論ループしているのか否かが明示されない段階で恋愛という不可逆な感情の変化を導入することは即座に時系列の操作を見破られる要因となるから、という作劇上の/戦略上の都合を含んだ事情ではあるのだろうけれど、そこで恋愛の代替として扱われているのが友情、それも直枝理樹個人とヒロインとの間のそれではなく、リトルバスターズという集団の結束を象徴するそれが扱われている、という部分に注目したい。リトルバスターズという大きなチームと、リトバスという物語自体の大ネタの食い合せが悪い―――正確に言えばリトルバスターズ発足メンバー以外が世界の秘密にうまく絡みづらい、というのは僕を含むある程度のユーザーの間で共有されている認識と思う。雑に言えばリフレインが本番、みたいな。だからこそ、他のヒロインを無印に、姉御だけをRefrainに配置したことには、別の意味を読み込みたくなる。

 ……つまりその、直枝理樹を強くするための物語と、ヒロインがトラウマに直面する物語とは違う筈だろう、という齟齬を抱えたまま原作の各ルート(除Refrainおよび姉御ルート)をプレイしていた訳です。二人の成長の為に奉仕する物語なのか、末期の未練を手放すための最期の猶予なのか、そこがあやふやになっていた。だからこそ真人はどこまでも尊かった、とかそういう話。更に言ってしまえば、あのループは理樹と鈴の二人を強くするためのものであった筈なのに、多くのルートでは鈴が画面から消失していたことも、世界観と実際の物語との乖離を感じさせた。
 だから、無印のアニメ版で愛情が友情に置換され、皆と一緒に頑張るうちに二人がどんどん強くなっていったことは、スタッフが少なくともリトルバスターズという物語をある意図の下に再編しようと考えていることを伺わせた。それは姉御ルートだけがRefrainに持ち越され、ここで初めて明示的に「好き」という言葉が持ちだされたことで、一層はっきりとした。世界は明確に二人を強くするために動いていて、だからこそ、ルールから外れた姉御の物語のどうしようもない儚さは浮き彫りにされる。……姉御ルートが浮いて見えないくらい他のルートに統一性がないのってやっぱりヤバいよなあ。原作。
 
 とりあえず2話の時点ですごい話が進んでてびっくりしました。強くなってしまった理樹くんが原作序盤の流れをなぞれるとは到底思えないので、物語の始まりをループで隠すのは非常にうまい処理だったと思います。
 描写に関しては原作との乖離点を列挙していくとキリがないくらい細かく変更されてるっぽく、特に展開を先取りすることで花火シーンにおいて既にデレっとした姉御を描いたのはちょうすごいなーと思いました。確かあそこではまだ恋愛感情がわからないとか言っていた、ような。みおっちを儚げな読書少女として描いてたの含め、アニメつよいなーという感はあり。
 鈴が明白に原作の比ではなく自意識を持っていること、恭介の独白のニュアンスが違ったこと、恭介が姉御との仲を邪魔してこない(アニメだと関係が成就してしまいそうなのに!)こと、あたりがとりあえず重要なのかな。